• 実施日
    平成31年4月25日(木)
  • 参加人数
    39名
  • 主催者
    関西鹿児島県人会総連合会
  • 行程
    JR尼崎駅AM7:00(出発)~名神~京都竹田駅~東名阪桑名東~治水神社(例大祭参列)
    お弁当~役館跡~天照寺
    根古地薩摩工事義没者の墓~名神高速自動車道大垣IC~京都竹田駅~JR尼崎PM6:00着(解散)
  • 加治木工業高等学校同窓会 関西支部参加者
    秋窪・古河・加納・大薄・山下・山下(妻)計6名

昨夜から明け方にかけての雨も止み、目的地に近づくにつれ、うっすらと日も射してきました。
江戸時代の中頃、徳川幕府は、木曽三川の水害で悩む濃尾平野西部の住民を救う為、関ケ原の合戦以来、勢力を伸ばしつつある薩摩藩の財政破綻をもくろみ、縁もゆかりも無い、三百里も離れた薩摩藩に、宝暦3年「お手伝い普請」を命じました。

経験したことのない水の流れに苦しみながら、この地方の住民の為、多大の犠牲を払い、工事途中に、幾度かの大雨や、幕府方の邪魔による築造中の堤防の崩壊にもめげず、万難を排して1年間で見事完成させました。この工事には薩摩藩家老「平田靱負」をはじめ1,000名余の薩摩義士がかかわっており、八十余名もの尊い犠牲者も出た難工事でした。

治水神社は、地元の人々の報恩感謝の思いにより、この工事の功績を称え、「平田靱負」を祭神とし昭和13年に建立され、亡き八十余名の義士が祀られ、地元では春と秋には大祭が開かれています。264年前の義士の偉業は、「現在の日本の土木工事の技術の基礎」を「正に薩摩が築き上げた」と言っても過言ではないと感じると共に、同じ薩摩人としての「誇り」を強く感じました。

例大祭終了後、千本松が歴史を物語っている、長良川の堤防の河川敷で昼食を取りました。昼食を取りながら、恒例の地元青年団が、担ぐ船神輿が長良川に勢いよく飛び込み祭りは最高潮となりました。昼食後、今回の行程の義士ゆかりの場所である、「役館跡」「平田靱負」の銅像「天照寺」へと行きました。
特に印象に強く残ったのが「天照寺」のご住職の講和です。宝暦治水工事について話をされましたが、参加者は感極まり、涙を隠せない程の熱弁でした。
それと、お住職自らがピアノを弾きながら歌う「ああ宝暦薩摩義士の歌」も薩摩義士に対する地元の感謝の気持ちの表れです。
薩摩義士の偉業と感謝を込めて地元小学校では、この歌を学校の授業で歌っているそうです。


これがその歌詞です。

工事当時は、地元民は幕府の厳しい咎めにより非協力的であったが、何よりのこの工事完成を喜んだのは地元「岐阜の人」です。それがこのように地元の方々により「薩摩義士の偉業と感謝の気持ち」を語りや歌で後世に伝えられていることに敬意を称します。
秋の例大祭にも是非参加したいと思います。
皆様も「薩摩義士の偉業」を、ご自身の目と耳で確かめませんか。

山下文男