「おやっとさ」です。

花見の季節も終わり新緑が鮮やかに芽吹いてくる中、同窓会会員皆様方におかれましては、健やかに過ごされていることと存じます。

さて、今年も例年通りの4月20日、住吉大社にて「島津家初代忠久公誕生記念祭」が斎行されました。ご縁がありまして、当同窓会会員様から5名の方が参列をされておりました。

住吉大社と我々の故郷、鹿児島とは縁深きところでありまして、始祖島津忠久公は、母君の丹後局が西国に向かう途中、産気づき住吉大社においてお生まれになられました。その際に力石となった誕生石が、今日では安産祈願と数多き方々が足運び崇め参られています。その誕生石の前にて、この度の記念祭を斎行しております。

次第
・修祓い
・斎主一拝
・献饌
・祝詞奏上
・神楽
・倭舞
・薩摩琵琶弾奏
・薩摩藩御留流示現流兵法 奉納
・玉串奉奠
・撤饌
・斎主一拝

【誕生祭事】

祭事も天候にも恵まれ滞りなく終わり、続いて住吉大社吉祥殿にて直会へと進みました。この度の誕生祭は、7回目を迎え,且つ島津義弘公没後400年ということであり、過去、誕生祭での一番の参列者であったとのことでした。

【直会】

【直会】

参列者の中に、勝海舟の玄孫及び田辺三菱薬品株式会社広報部の方もいらっしゃいました。果たして、双方が島津家とどのような繋がりがあるのか興味津々の中、双方より挨拶を兼、島津家とのゆかりの説明がありました。

「勝海舟と薩摩藩島津家との関係」
西郷隆盛と勝海舟の江戸城無血開城は皆の知るところですが、勝の蘭学を志し、オランダ語に長けたその背景には、島津斉彬の知遇を得たということで、立役者の双方の人生形成の根幹には、島津斉彬の多大なる影響があり、惹いては江戸城無血開城へと繋がったもののようです。

「田辺三菱製薬株式会社と薩摩藩島津家との関係」
関ヶ原の敗戦の後、大将島津義弘が薩摩へと撤退する「島津退き口」の折、それを助けた大坂商人というのが、田邊一族とのことです。
「島津退き口」とは、戦国史上に残る激烈な撤退戦法で、関ヶ原で周囲を敵に囲まれ島津軍が決死の覚悟で正面突破し、多大な犠牲をはらいながらも退却し、大坂に逃れ、堺から船出する際には大坂城の人質となっていた妻らも救出し無事薩摩に帰還、大坂商人の協力を経て危機を脱したとの記述が薩摩藩に残されているようです。そしてその功によって、島津家から秘伝薬の製法を与えられ、「たなべや薬」として、史料も残されているとのことです。

まもなく、「平成」から「令和」へと時代が移り変わるわけですが、島津義弘没後400年のこの年、何かの縁を感じ温故知新の思いで、新たなる時を迎え入れたいものです。

以上

報告者:山之上伸一郎